言葉になるよりも前に生まれる物語がある。私の物語は、六歳のころ、すでにお姫様のドレスを描いていた幼少期に始まった。おとぎ話とその主人公たちの優雅さに魅せられ、描くたびにより大きな夢への扉が開かれていった。
私はバヌアツの首都ポートビラで生まれた。両親と五人の子供が二部屋に暮らす小さな家で、二段ベッドが並んでいた。暮らしは質素だったが、色や香り、質感にあふれており、それらが私にとって最初の「美の言語」となった。家の前には母の庭があり、ガーベラ、ダリア、バラ、マリーゴールド、ハイビスカスが咲いていた。植物の世話に長けた母の喜びと色彩への感性が、私の感覚を形づくった。隣の庭からは、こっそりとお気に入りのプルメリアの花を摘み、危険を顧みず果樹に登った。マンゴーやライチ、パイナップルの鮮やかな色と香りの混ざり合いは、生きた絵の具のようだった。美は時に手を伸ばさなければ届かないということ、創造は好奇心から始まるということを、私はこの時に学んだ。
バヌアツの鮮やかな色彩と自然の環境は、マドレーヌに深い印象を残した。
幼少期の多くは外で過ごした。道路の向かいにはバスケットコートがあり、兄弟姉妹と無限に遊び、想像力を試す場所だった。母と市場へ行くと、果物や野菜、花が並び、無数の質感と色調の世界に心を奪われた。海では貝殻を拾い、首飾りや花冠を作った。遊びのつもりだったが、それはすでに今の仕事につながる「見る力」の根を育てていた。
母と市場へ行くと、果物や野菜、花が並び、無数の質感と色調の世界に心を奪われた。海では貝殻を拾い、首飾りや花冠を作った。遊びのつもりだったが、それはすでに今の仕事につながる「見る力」の根を育てていた。
バヌアツは自然だけではなかった。文化の群島でもあった。フランス、イギリス、メラネシア、タヒチ、中国、ベトナム、それぞれの共同体が独自の服飾や所作、生き方を持っていた。祭りでは、ベトナムの女性たちがアオザイを着て踊る姿に心を奪われた。日常では1970年代風の服を着る人も多く、それは今でも私の好きなスタイルの一つである。空港では、金の装飾に輝くアジアの女性たちのポスターを見つめ、その洗練された姿を芸術のように感じていた。その時はまだ知らなかったが、こうした出会いが私の目を養い、ファッションが文化の対話であり、伝統と再創造の融合であることを教えてくれた。
日曜日は特別な日だった。教会へ向かう女性や子供たちは、慎みと誇りを持って歩いていた。印象に残っているのは特定の服ではなく、その「儀式のような気配」だった。装うことは表面的なことではなく、敬意の表れであり、美への抱擁であり、静かな自己表現だった。私は教会のそばでこっそりと結婚式をのぞき見し、花嫁のドレスや、生地が夢や感情を運ぶ様子に心を奪われた。式が終わると、教会の前にけんけんぱの枠を描いて遊び、神父に叱られた。私にとって儀式の場は想像の場でもあった。その日曜の記憶が、衣服には日常を神聖に変える力があるという確信を植えつけた。
家ではもう一つの儀式があった。夕方になると、祖母のそばで彼女が針仕事をするのを見つめた。手縫いの時もあればミシンを使う時もあった。糸が布を通る音とリズム、ひと針ひと針の正確さを静かに見守った。祖母は多くを語らなかったが、その手の動きがすべてを教えてくれた。忍耐と根気、そして「作る」という行為の尊厳を、私はそこから学んだ。
サンゴから着想を得た真珠刺繍の製作過程。バンクーバーファッションウィークで発表された作品。
ある日、私は母に、自分が想像したドレスを作ってほしいと頼んだ。しかしそれは母には難しすぎた。その瞬間、私の中で一つの決意が生まれた。もし誰も私の夢のドレスを作れないのなら、自分で作れるようになろう。その静かな誓いが、今も私の道を導いている。
十一歳でフランスに来た時、その対比は鮮烈だった。バヌアツの湿った緑の風景が、石造りの街並みと長い歴史を持つ建築へと変わった。初めて季節の移ろいを感じ、特に冬は衝撃であり発見だった。雪を見たのも初めてで、衣服が美や儀式だけでなく、温もりと保護、適応のためにもあることを知った。重ね着や厚手のコート、マフラーの構造は、島での花冠や薄布とは異なるが同じくらい魅力的だった。フランスで私は、服を「表現」であると同時に「身体の建築」として見るようになった。
ファッション学校に入る前、私は独学で学んだ。描き、裁ち、縫い、自分の想像にのみ存在する形を試した。学問による訓練は後に基礎を与えてくれたが、私の核はすでに形成されていた。私は仕立屋であり、スタイリストであり、創造者でもある。女性にも男性にも服を作る。私にとって創造は、アイデアが身体に宿り、形となったときに初めて完成する。
アトリエは意図的に小規模で、全て自らの手で仕上げる。素材はその「動き方」「光の受け方」「身体との対話」で選ぶ。一つ一つの決断は意識的だ。ウールの織り、シルクの艶、裏地の重み。多くの仕上げは手縫いで行い、裾を丁寧に縫い、縁を触覚の記憶で包む。これらの行為は懐古ではなく意志である。衣服を時間に根づかせ、季節を超えて生かすための意志だ。
色彩を選び、デザインを思索するマドレーヌ・ブランの静かな創作のひととき。
自然は今も私の中心にある。花は単なるモチーフではなく方法である。その繊細さと強さの均衡は、私が装いたい人々の姿を映している。その質感や色、構造は私のコレクションを支え、プルメリアの花はブランドのロゴにもなった。建築もまた私に語りかける。その線、規律、力強さが、有機的な詩情と交わり、私のデザイン言語を形づくる。構造と流動の出会いである。
この「対比への感受性」こそがメゾンを特徴づける。私はロゴや地位のためにデザインするのではない。静かな強さと、内に宿る優雅さのためにデザインする。意味よりも騒音が重んじられる時代にあって、私の答えは洗練と誠実である。袖口の終わり方、見えない芯の処理、プリーツの落ち方——そうした細部こそが、声を上げずとも服に確かな力を与える。
バヌアツでの幼少期は思い出以上のものを与えてくれた。色が文のように語り、質感が時間を記し、光が形を浮かび上がらせるという感覚だ。咲き誇るフランボヤンの木、日曜の装いの儀式、祖母のミシンの音、街に交じる多様な文化、果樹に登った冒険、そしてフランスで初めて見た雪。すべてが私の作品の中に生きている。衣服とは素材以上のものであり、記憶とアイデンティティ、そして物語を宿している。
私たちのメゾンは単なるファッションハウスではない。過去から受け継いだ優雅さを、今と未来のために再解釈する場所である。私を突き動かすのは、服を作ることそのものではなく、それをまとう人の中にすでにある自信と優雅さを引き出すことだ。すべての作品が、姿勢と安らぎ、そして「真のスタイルは静かであっても確かである」という静かな信念を伝えるものでありたい。
バンクーバーファッションウィークのフィナーレ。フロリーヌ・ブランとマドレーヌ・ブランが、ランウェイで披露された作品とともに登場。
私の誓いは単純だ。物語がある限り、それに形を与え続ける。一本の糸、一つの縫い目に心を込め、優雅さとは表面ではなく魂であるという信念とともに。